インタビュー

ミセス・クイーンコンテスト2016
ミセス・ワールド グランプリ
山口真紀

日本代表になるということ

日本代表になるということ。
“コンテスト”というと、きらびやかなイメージされることが多く、また“日本代表”というと、華々しさの印象を持たれるかた多いと思います。
実際、多くの方が触れるミスコンやミセスコンテストの表面は、華やかで美しいシーンがクローズアップされることが多いので、そのイメージは当たり前であろうと思います。
確かに、女性のコンテストですから、華やかさは必須であり、重要な要素ではありますが、私の日本代表として選出されてから世界大会を経て今に至るまでのリアルな経験を通して、ミセスコンテストの内側と本質を、みなさんに共有したいと思います。

可能性は無限大のミセスコンテスト。
正直なところ、日本における“ミセス”のためのコンテストは、まだまだ認知が低いのが実情です。
2016年5月に私が、ミセスワールド2016日本代表に選出された際にも、「ミセスコンテスト日本代表って、いわば人妻グランプリ的な感じでしょ?」なんてことを言われたこともあります。
ですが、ミセスワールドは、世界では1984年からの歴史あるコンテストであり、分かってもらえる人だけに理解してもらえばいいと思い、加えて、気のおけない仲間から言われたことでしたので、受け流していました。

しかし、実は受け流してはいけないことだと後々気づいたのです。
気のおけない仲間だからこそ、正直な印象を言葉にしてくれたわけであり、おそらく世間一般のイメージはそうなるのだと気づくに至りました。
同時に、私は、この「ミセスコンテスト」の認知をどのように上げていくのか、という課題に取り組んでいこうと思いました。

また私は、この課題を大変役割をエキサイティングだなと感じました。
それは、まだ認知度が低いからです。つまり、認知が低いということは、まだ色が付いておらず、これから「ミセスコンテスト」に、どのような未来が広がるのかは、私たち次第であるということです。
つまり、ミセスコンテストの未来の可能性は無限大であるということです。

ミセスコンテストと“ミスコン”の違い

さて、ここで、すでに市民権を得ているミスのためのコンテストこと”ミスコン”と“ミセスコンテスト”の違いについて、私の経験から感じることを共有したいと思います。
その前に、まず“ミスコン”を否定しているわけではないことを、先にお伝えしておきます。
その上で、“ミセス”のためのコンテストは、“ミスコン”とどう違うのか、実際に、2002年に「ミス日本コンテスト中国四国地方代表」となった時の経験と、「ミセスワールド2016日本代表」としての経験を通しての実感をお話しします。

ミセスコンテストは、日本代表になったからといって、レールは敷かれているわけではありません。
正直、日本代表決定当初私は、「えっ?」って思いました。「だって、日本代表だよ?」って。
確かにそうです。
ミスコンテストだと、多くの場合、たくさんのスポンサーにサポートされ、しっかりと敷かれたレールの上で、華やかな露出を受けます。
美しさと教養を兼ね備えた前途ある逸材を、世間に出る前よりも早く見つけ、よりよく育成しようという大きな流れを感じた記憶があります。

一方で、“ミセス”はどうでしょう。正直なところ、レールを敷かれたところで、ミセスの本当の魅力を発揮できるでしょうか?
私はそのようには思いません。
何しろ、人として成熟し、家庭もあり、社会での立ち位置もしっかりした女性だからです。
ミセスコンテストへ共感を頂いているスポンサー企業様は、コンテスタント個人のプロデュース/サポートというよりは、私たちの活動をサポートしてくださっているものに近いと感じています。
ミセスクイーンという団体、コンテスタント、ファイナリストの個々を尊重し、全般的に活動のサポートいただいていていることに、感謝いたします。

成熟した大人の女性だから、コンテストという“場”が、自らが考え行動を起こす機会となる。
それがミセスのためのコンテスト。


では、“ミセスコンテスト”とは、どのようなコンテストなのか?という問いに、経験として定義を入れますと、「未来を創る役割を見つけ、その役割を果たすスタート地点に立つ」という感じでしょうか。

ある日突然、私は日本代表になりました。ミセスワールド2016日本代表になりました。
選んでいただいて本当に嬉しかったですし、「私ができることはなんでもやります」と思いました。
しかし、実際のところ、日本代表になったからといって、何か特別なレコグニションの機会があるわけでもなく、特別なプログラムがあるわけでもなく。
世界大会用の写真も、ドレスも自分で選んで、自分で調達します。
ディレクターが付いている方は違うと思いますが、私の場合は、メイクやボディメイク、マインド、ウォーキング、ポージングなどのトレーニングも全て自分で計画し、世界大会へ備えました。

「え?」って思われる方もいらっしゃるでしょう(正直なところ、当初、私も思いました)。
ただ、今になって思えば、それらは全て、意味があったなと思うのです。
世界大会への準備と大会そのものを通して、“山口真紀”という人間が、いかに家族や友人・知人、そして縁のある団体に支えられて存在しているかということを実感し、それを感謝することから始まり、“山口真紀”という個人としての“強み”や“魅力”を、ある意味、客観的に検討・評価し、自らがブランディング・プロデュースをしていくことが必要でした。
いわば世界大会までの時間は、これからの人生をどう生きていくかを考える時間であったと思います。
そして、この時間が、後々の私の行動を変えたのです。
おそらく、もし日本代表になった後、レールに乗せられていたらこの「自分自身について考える」時間はなかったと思いますし、今のような生き方をしていなかったと思います。

ミセスワールド2016世界大会で出会ったこれからの“山口真紀”の姿

世界大会はいうまでもなくとても華やかな場所です。完全なる非日常でした。
毎日、朝・昼・晩そして夜中のリハーサルと、何着も衣装を着替え、ヘアメイクを都度場面に合わせて変更し、ミーティング、スポンサー巡り、グランドファイナルに向けたウォーキングやダンスのレッスン、最終選考のためのパーソナルインタビューなど、様々なプログラムをこなして行きます。
自由時間はほとんどありませんでしたが、全てのプログラムを、各国の代表者と共に過ごすので、それはエキサイティングで楽しい時間でした。

私は、残念ながら、世界大会で結果を残すことができませんでした。
しかし、世界大会では、たくさんのことを感じ、それらは世界大会後の私の生き方に大きな影響を与えています。
その中でも一番影響を受けたなと思うエピソードについてお話しします。

それは、世界のミセスたちの“自立した”生き方を感じたことです。
ここでいう“自立”というのは、経済的な意味の自立ではありません。
世界からの代表者には、経営者、医師、教師、会社員など様々な職業の女性だけでなく、主婦もいました。

私は、世界大会で負けるまで自分では気づかなかった、世界のミセスたちを明らかに異なることがありました。
それが、“自立”です。
わかりやすい例を挙げると、私の自己紹介の仕方です。
例えば私は、「◯◯の山口真紀です」という自己紹介をしていて、この「◯◯」には、大抵の場合、会社名や担当している仕事が入っていました。
ほぼほぼ、無意識のうちに行っていることでした。
一方で、他国のミセスたちは、「<名前>です。職業は◯◯、ライフワークは△△、家族はxxx………」と言った感じです。
確かに私は、会社員としての自分にも、その職業についても誇りを持っていますが、自己紹介で自分の名前よりも先に提示する必要はないのです。
以来、私の中で、「私は、山口真紀です。職業は、、、」という自己紹介をするように心がけるようになり、伴って、行動も生き方も変わってきたように思います。

世界大会帰国後、悔しさとコンプレックスは原動力に。

世界大会から戻った私は、とにかく結果(世界の中のトップ10に入ること)が出せなかったことへの悔しさ、そして “たくさんの人に励ましや応援の言葉をもらい、世界という舞台に立たせてもらったのに、結果を出せなかった。”という申し訳ない気持ちに埋もれていました。

しかしそんな中、私の1人の友人が、「プロセスが良かったら、いいんじゃないの?そこに意味があるんだよ。」というメッセージをくれました。
この瞬間、視点が変わり、今までの悔しさや申し訳なさは、「そうだ。私は、誰にでも経験できることのない経験をさせてもらったんだ。その私が、果たすべき社会の中での役割は何だろう?」という問いに変わりました。

私は、ミセスワールドという世界の舞台を経験したことに加え、マーケティングを専門領域とする実務家・社会人であること、そして仕事柄プレゼンテーションなど人前で話すこと・説明することが得意であること、そして、そこそこ見栄えが良いという強みを持っている、と認識しています。

一方で、私は結婚10数年経ちますが子供を持っていません。
実は、このことは、私の長年のコンプレックスでもあったのですが、世界大会から戻ってからは、子供を持たない生き方も私という個性であり、だからこそできることがあると考えるようになりました。
そして、今は、子供という形ではないけれども、未来に繋がる役割を果たしたいと、強く、強く思っています。

世界大会で結果を出せなかったことの悔しさと、このコンプレックスが私の原動力となり、そのスイッチを入れてくれたのがミセスコンテストだったと振り返ってみて思います。

ミセスワールド2016世界大会後に見つけた“山口真紀”果たす役割。

2016年11月の世界大会を終え、悔しさとコンプレックスという“原動力”と人生のターニングポイントのスイッチが入り、現在。
多くの友人や支援者の方からのサポートを礎に、たくさんのご縁に恵まれ、いくつか“山口真紀”としての役割に出会い、その貢献機会をいただくことになりました。
その活動について共有させて頂きます。

 

・MAKI.JAPAN開業
会社員として勤めながら、2017年3月に開業をしました。会社員として仕事をすることは私にとって大きな誇りです。
それと同時に、社会が育ててくれた私の経験や知見を生かして、社会における自分の役割を果たすという、自分の覚悟を開業という形にしました。
MAKI.JAPANの主な業務内容は、イベント企画・運営及び講師・講演ですが、今までに、“パラレルキャリア(副業)”、“ダイバーシティ”、“自分らしく生きる”などをテーマにイベントを企画し、問題提起として発信しながら、参加者と共に意見を交換する場を運営しています。
また、“挑戦”、“夢”、“パラレルキャリア”、“ダイバーシティ”等々をテーマとしたイベントやセミナーでの講演やトークもお声がけをいただき、経験させて頂きました。
今後も引き続き、会社員としての立場で思う“問題”や“課題”について提起をし、意見交換をする場所を設けていきたいと思っています。

 

・短期大学での非常勤講師
「未来に繋がる役割を果たしたい」という一言を発したことからいただいたご縁で、短期大学で『プロデュース論』の非常勤講師を務めさせていただいています。
私の専門領域であるマーケティングを基本として、人生100年時代をどのように“美しく歳をとるか”を考える「セルフプロデュース」と、国際化の進む中で外国人観光客にどのように商品・サービスを売り込むかという「ブランドプロデュース」を考えていく、全15回の講義を担当させていただいています。
自分の強みである「マーケティング専攻の知識と実務」と「自らを世界大会に向けて売り込んだ経験」があったからこそ、教師の資格がなくとも、自信を持って教壇に立てているのだと思います。

 

・Rock the Middleの立ち上げ
私を一番近くで支えてくれている大切な仲間とともに立ち上げたムーブメントです。
私は、仲間と趣味でロックバンドを結成していますが、バンドメンバーと共に、アマチュアバンドのイベント“Rock the Middle”を立ち上げ、“遊び方改革”をはじめました。
この遊び方改革は、“アマチュアバンドが武道館で演奏することを目指す”という究極の遊びを追求しながら“楽しさのエネルギーを社会に還元していく”というものです。
このムーブメントは私個人のものではありません。それが、とても嬉しいことです。

 

これから先にもいくつか種を撒いています。
特に、“未来を創る”という点についてフォーカスを強めていきたいという気持ちが強く、今後、若い世代に自分を大切に自分らしく生きることを伝える性教育をするための認定資格や、今後増加するであろう、日本で働く外国人のための日本語教師になる資格を取得するために、現在勉強をしています。

ただの“美人”に力を与える“日本代表”というタイトル

長文、最後までお付き合いを頂きありがとうございます。
最後まで読んでいただいた皆様にだけ、本音をお伝えしますと、、、ミセスワールド日本代表になっていなかったら、私は“ちょっと頭のいい”“、“そこそこ美人”な女性だったと思います。
ですが、私は、“日本代表”というタイトルをいただくことによって、周りからのサポートに改めて感謝をし、その感謝と自らの内側に抱えていたコンプレックスをパワーに変え、“自分の役割を見出し果たすことを探し生きていく力”をもらったと思っています。

毎年世界大会への代表者を輩出するミセスクイーンは、成熟した“仲間”が存在する場所です。
ただの美人コンテストではない“ミセスコンテスト”がここにあります。
また今年も“仲間”が増えることを大変嬉しく、その“仲間”を心待ちにしております。

成熟した大人の女性が自ら考え行動を起こす。それがミセスのためのコンテスト。


“ミセスクイーンコンテスト”に限らず、日本における全ての“ミセスコンテスト”の発展を祈念しております。

ミセス・クイーンコンテスト2017
ミセス・ワールド グランプリ
山口真紀

ミセス・クイーン2016
ミセス・ワールド グランプリ

山口 真紀

プロフィール
1978年山口県生まれ。
九州大学工学部応用物質化学科卒業(工学士)
明治大学専門職大学院グローバルビジネス研究科修了(専門職MBA)
ファイザー株式会社 エッセンシャルヘルス事業部門 ブランドマネジャー
山野美容芸術短期大学 非常勤講師
MAKI.JAPAN代表

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